【 寛永行幸 四百年前の出来事年表 】
時をたどる、寛永行幸の記録
行幸に至るまでの準備から当日の饗応、その後の余韻まで――。
寛永という時代に刻まれた数々の出来事を、年月日の流れに沿って一覧できる年表としてまとめました。歴史の大舞台の裏側にあった動きや人々の営みを、時の積み重なりとともに感じていただけます。
【寛永元年】
- 二月
- 明後年の二条城行幸に向けて、城の改修を命じる。玉座は金銀の具を用いるべしと。
【寛永二年】
- 二月
- 全国の大名・旗本に上洛の命が下る。家光将軍襲封を慶賀して近衛信尋以下参府。その後、徳川義直と近衛信尋が対顔。
- 十一月二九日
- 遠州、秀忠に二条城天守の棟上を報告
【寛永三年】
- 五月 三日
- 鍋島勝茂、二条城内の御庭に植えるための蘇鉄一株を献上
- 五月 七日
- 本多忠刻、所領の姫路で卒す。齢三十一歳。
- 五月一六日
- 幕府、二条城への行幸のため、堂上及び地下官人に装束料を給う。
- 五月二十日
- 伊達政宗、秀忠に先立ち発足。
- 五月二八日
- 秀忠、約二十万人を供奉して江戸を発つ。徳川義直も尾張を発つ。
- 六月 五日
- 秀忠、駿府に宿泊、雨により七日まで滞留。
- 六月 八日
- 秀忠、掛川に宿泊。
- 六月一一日
- 紀伊徳川頼宣上洛。先に入洛した公武窓口の徳川義直と、近衛信尋が打合せ。
- 六月一二日
- 秀忠、吉田に宿泊。
- 六月一三日
- 秀忠、岡崎から桑名に到着。
- 六月一四日
- 秀忠、伊勢亀山城に入る。秀忠の年寄・板倉重宗と武家伝奏が協議し、「行幸法度」と日取りを決定。
- 六月一六日
- 秀忠、水口宿へ。
- 六月一九日
- 秀忠、膳所城へ入城。
- 六月二〇日
- 秀忠、京都に至り、二条城に入る。二之丸行幸御殿の建設が順調との旨を了解した、との江戸幕府本丸老中連署奉書。
- 六月二三日
- 秀忠、公家衆(武家伝奏の三条西実条と中院通村)を二条城に引見する。
- 六月二八日
- 公卿及び諸大名、二条城に参上し、秀忠に拝謁する。
- 六月三〇日
- 土御門泰重、二条城で茅輪を秀忠に進む。
- 七月 朔日
- 秀忠、金地院崇伝を二条城に召し、諸家礼式法令について議論。
- 七月 二日
- 秀忠、金地院崇伝を二条城に召し、家光の江戸出立の日時を検討。
- 七月 三日
- 親王・公卿等、二条城で秀忠に入京を賀する。
- 七月 四日
- 秀忠、金地院崇伝を召し、行幸の日時の勘考を命ずる。秀忠、西本願寺門跡光昭と面会。
- 七月 五日
- 秀忠、金地院崇伝を召し、武家伝奏と行幸の儀注の勘考を協議するよう命ずる。東本願寺門跡光従と面会。
- 七月 六日
- 秀忠、二条城から使いを出し、伊達政宗に美濃真桑瓜を贈る。二条城で浄土天台諸宗の僧徒と面会。
- 七月 七日
- 星夕の賀として、諸大名が二条城に出仕する。五山の僧徒も拝す。
- 七月一一日
- 松平重忠死去。子重直、二条城で家督を賜う。
- 七月一二日
- 秀忠、参内する。家光、江戸を発つ。
- 七月一三日
- 秀忠、二条城行幸の諸礼について崇伝や武家伝奏らに評議させる。家光、藤沢駅に宿す。
- 七月一四日
- 崇伝や幕府年寄の土井利勝、井上正就、永井尚政、京都所司代板倉重宗、儒者林信澄が、所司代邸にて行幸礼式の相談。
- 七月一五日
- 崇伝、二条城に登城し、秀忠に報告。家光、小田原城に入る。
- 七月一六日
- 所司代邸で相談。家光、三島に宿す。
- 七月一七日
- 伝奏と幕府年寄らも二条城に集まり、秀忠に報告。大筋決定。
- 七月一八日
- 家光、清水の御旅館に宿す。
- 七月一九日
- 家光、久能山を御参。駿府城に入る。中納言忠長が饗応。
- 七月二十日
- 家光、田中城に入る。
- 七月二一日
- 家光、掛川城に入る。
- 七月二二日
- 家光、浜松城に入る。
- 七月二三日
- 家光、吉田城に入る。
- 七月二四日
- 家光、岡崎城に入る。
- 七月二五日
- 家光、熱田に宿す。秀忠、金地院崇伝と大坂巡覧。
- 七月二六日
- 家光、桑名城に入る。二七日まで滞留。
- 七月二八日
- 家光、亀山城に入る。
- 七月二九日
- 家光、水口に宿す。秀忠、大坂城より二条城に帰る。
- 七月三十日
- 家光、彦根城に入る。井伊直孝、五万石を加増される。
- 八月 朔日
- 家光、膳所城に入る。
- 八月 二日
- 家光、京都に至り、二条城、追って淀城に入る。
- 八月 四日
- 諸大名、長袴を着し、淀城で上洛を賀す。
- 八月 五日
- 伝奏三条実条・中院通村、淀城で家光の上洛を賀す。岩倉具尭ら公卿も。
- 八月 八日
- 西本願寺門跡光昭ら僧徒ら淀城で家光に拝謁。
- 八月 九日
- 行幸の際の饗応使が発表される。
- 八月 十日
- 諸宗の寺僧社人、淀城で家光に拝謁。
- 八月一一日
- 秀忠、参内。
- 八月一二日
- 金地院崇伝、二条城にのぼり秀忠に拝謁。
- 八月一五日
- 秀忠、二条城二の丸で公卿諸大名に拝賀。
- 八月一八日
- 家光、参内し、 従一位右大臣に叙任する。秀忠、太政大臣を勧められるも、固辞する。
- 八月一九日
- 他の大大名や年寄も昇進し叙任を受ける。
- 八月二十日
- 家光、淀川で御船逍遥。橋本の辺りでは自ら鴨を撃つ。
- 八月二六日
- 遠州茶会(前田利常・寿広・不及)、(神谷長治・浅野将監・桜井段助・八幡牛斎)
- 八月二七日
- 諸大名、長袴を着し、淀城で昇進を賀す。
- 八月二八日
- 諸大名、長袴を着し、二条城で昇進を賀す。遠州茶会(横山長知・松平康高・神谷孝之・横山興知・才道仁)
- 八月二九日
- 土井利勝・松平正綱・伊丹康勝・中野笑雲、遠州三条屋敷で茶会
- 九月 二日
- 遠州茶会(青山幸成・板倉重宗・岡田利良・永井尚政・茶屋四郎次郎)
- 九月 三日
- 遠州茶会(酒井忠世・安藤重長・永井尚政・北見勝忠)、(本多政重・坂井就安・たち花長兵衛)
- 九月 四日
- 遠州茶会(建部政長・神尾守世・加藤則勝・向井忠勝・高木政次)
- 九月 五日
- 行幸前日の大殿祭が行われる。祭主は藤波友忠。遠州茶会(佐竹義宣・森川氏信・島田直時・久貝正俊)、(久貝広富・坂辺広利・本田信勝・加藤正重)、(水野忠善・井上正就・板倉重宗・梅原休閑)
- 九月 六日
- 後水尾天皇、女院などを伴い、二条城に行幸する。供奉の行列は数千人。
- 九月 七日
- 内々の儀のあと、将軍家より捧げ物。雅楽が奏され、七五三の膳がある。公家衆は御番伺公する。
- 九月 八日
- 秀忠から天皇一家に内々の進物がある。天皇が天守に昇る。馬術・和歌・管弦の御遊がある。
- 九月 九日
- 密々の猿楽叡覧があり、天皇・摂家・門跡、徳川四卿、諸大名、公家以下、金銀の天杯を進す。。
- 九月一〇日
- 巳の刻に女院還幸。天皇が天守に昇る。内々の三献、賜物があって還幸。
- 九月一一日
- 諸大名、二条城に出仕。お江与危篤の報。遠州茶会(大久保忠尚・佐野正周・竹村道清・山川重賀・五味豊直)
- 九月一二日
- 秀忠が太政大臣に、家光が左大臣に昇進する。秀忠・家光父子、参内し、後日二条城において公家衆の御礼・祝儀がある。
- 九月一三日
- 両御所、参内して行幸を謝す。遠州茶会(浅野長重・松原長房・浅香左馬助・宇治道二)遠州茶会(伊丹康勝・佐野正周・小野貞則)
- 九月一四日
- 遠州茶会(徳川義直・竹腰正信・滝川忠征・成瀬正虎)遠州茶会(有馬豊長・次沼主殿・秋田俊季・松平忠隆・神尾守勝)
- 九月一五日
- お江与死去。遠州茶会(北見勝忠・松平忠明・太田資宗)遠州茶会(片桐孝利・本多忠純・日根野吉明)
- 九月一六日
- 家光、大坂に赴き、普請を上覧し、翌日二条城に帰る。遠州茶会(中山直定・花井吉高・牧野正成・日下宗正・渡部宗綱)
- 九月一七日
- 遠州茶会(九鬼守隆・阿部政澄・竹中重信)
- 九月二一日
- 遠州茶会(松平忠明・常光院・数馬)
- 九月二二日
- 遠州茶会(近衛信尋・藤堂高虎・三宅亡羊)遠州茶会(竹中重義・花房幸次・楢村孫兵衛)
- 九月二三日
- 遠州茶会(桑山貞晴・佐久間実勝・桑山貞利・道尤老)
- 九月二五日
- 家光、二条城を発して、江戸に帰る。
- 一〇月六日
- 秀忠、二条城を発して、帰途に就く。
- 十一月十五日
- 遠州茶会(近衛信尋・三宅亡羊・金森宗和・木瀬吉十郎・松花堂昭乗)