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行事開催報告

2026年9月13日

伊達政宗ゆかりの地で、四百年前の文化をひもとく~仙台市博物館にて記念講演会「寛永文化と能」を開催いたしました

2026年8月29日、仙台市博物館にて、寛永行幸四百年祭記念講演会「寛永文化と能」を開催しました。

寛永3年(1626)、後水尾天皇が徳川幕府の招きにより二条城へ行幸した「寛永行幸」。天皇と将軍が一堂に会したこの歴史的な催しには、全国の有力大名も参列し、その中には仙台藩祖・伊達政宗の姿もありました。

今回の講演会では、京都から京観世林家十四世・林喜右衛門氏をお迎えいたしました。
第一部に、寛永行幸四百年祭 総合プロデューサー・濱崎加奈子との対談。
第二部に、林氏と、関西出身仙台在住の観世流シテ方能楽師・山中迓晶氏との仕舞「実盛」。
そして第三部の3名でのクロストークを通して、寛永文化と能、そして伊達政宗とのつながりをひもときました。

お足元の悪い中、たくさんの方にご来場いただき感謝いたします。


伊達政宗と林家を結ぶ、四百年前の縁

今回、仙台で講師を務めた林喜右衛門氏の家にとって、寛永行幸は特別な意味を持っています。
林氏によれば、林家が能楽を生業とするようになった背景には、寛永行幸が一つの契機としてあったと考えられています。
そして林家に仙台藩祖・伊達政宗との縁を今現在まで伝わるもの。それが、林家の家紋です。

林家の家紋は、寛永行幸のために上洛した伊達政宗に林家から献上した「州浜団子」と、その返礼として政宗から賜った「銀玉」を意匠としたものとされています。
四百年前、京都で行われた寛永行幸に参列した伊達政宗。
その政宗との交流を家紋に刻み、現在まで受け継いできた林家。
その十四世である林氏が、政宗の本拠地であった仙台を訪れ、寛永行幸と能について語ることは、京都での寛永行幸を紹介するだけではなく、その出来事を通して結ばれた京都と仙台の四百年の縁を、現代にもう一度つなぐ機会となりました。


能を愛した伊達政宗

伊達政宗は、武将としてだけではなく、能をはじめ、和歌、茶の湯、香など、さまざまな文化に親しんだ人物でもありました。
寛永行幸においても能は重要な役割を担います。二条城では、後水尾天皇を迎え、能九番、狂言七番『翁』を含む、十七の演目が披露されています。

今回の講演会の第二部では、仕舞「実盛」を林喜右衛門氏、山中迓晶氏が演じられました。

戦国の世を生き抜いた武将たちにとって、能は単なる娯楽ではありませんでした。そこに描かれる武将たちの生と死、老い、誇り、執着、鎮魂といった物語は、自らの人生とも重なり合うものだったのかもしれません。
そしてそのことを象徴するような逸話が、伊達政宗と能「実盛」には残されています。


仙台で「実盛」を舞うことに込められた思い

第三部の、林氏、山中氏、濱崎の3名によるクロストークでは、政宗がいかに能を好んだのかを、見てきたかのように語られる迓晶さんの漫談のようなトークを中心に、会場は大いに盛り上がりました。

寛永8年(1631)の若林城で「実盛」を含む十番の能が上演された記録が残されていますが、その能を政宗も鑑賞したのではないかとされています。
「実盛」は、平安時代末期の武将・斎藤別当実盛を主人公とする能です。老境を迎えながらも戦場へ赴く実盛は、若い武者に侮られることを恥じ、白髪を墨で黒く染め、若々しい姿で最期の戦いに臨んだと語られます。
伊達成実が記した『政宗記』には、その「実盛」の姿に政宗が感涙したとされています。

四百年前、伊達政宗が涙した「実盛」を、政宗ゆかりの仙台の地で舞い、それを語る。
それは今回の講演会だからこそ実現した、歴史と能を結ぶひとときとなりました。

京都と仙台を、文化で再び結ぶ

寛永行幸四百年祭では、寛永行幸を京都だけの歴史として捉えるのではなく、そこに参列した大名や文化人、その後各地へと広がっていった文化をたどりながら、日本各地とのつながりを見つめ直す取り組みを進めています。

寛永行幸に参列した伊達政宗。
その政宗との交流を家紋に残す林家。
そして、政宗が涙したと伝えられる能「実盛」。

四百年前には京都で交わったこれらの歴史が、今回、仙台という場所で再び一つにつながりました。

寛永行幸から四百年。歴史を振り返るだけではなく、そこに残された人と人、地域と地域とのつながりを見つけ、現代から未来へと受け渡していくこともまた、寛永行幸四百年祭が目指すものです。

仙台市博物館での「寛永文化と能」は、能という芸能を通して、京都と仙台を結ぶ四百年の文化の記憶を、改めて見つめ直す機会となりました。

(写真提供:仙台市博物館

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