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2026年4月20日

講演「寛永行幸と文化外交」 近衞忠大氏(近衞家三十二代後嗣)

寛永行幸四百年祭/開幕記念フォーラム・レセプション
(2026年4月12日)

こんにちは、近衞忠大(このえ・ただひろ)でございます。「寛永行幸と文化外交」というたいへん重たいテーマを振られ、少々困惑していますけれども。元はといえば、この寛永行幸が行われた400年前のこと。私の先祖に近衞信尋(このえ・のぶひろ)が、寛永行幸のいわばコーディネーター役といいますか、公武の間を取り持ったという、そんなご縁から今日はお話をさせていただこうと思います。

先ほどご紹介いただいた際にもありましたが、私の始祖が藤原鎌足で、ずっと長いこと京都にもお世話になっておりました。最近は少し〝留守がち〟だったのですが、実は近ごろ京都に来る機会が増え、かなりの頻度で訪れています。こうした家に生まれると、皆さんが大きな誤解をされているのではないかと思うので、少しその誤解を先に解いておきます。「今でも近衞家は大きな屋敷に住んでいて、数々の文化財を自分の手元に置いていて」……などという誤解が時々ありますが、一切そうしたことはなく、今はたいへん質素に、普通に暮らしております(笑)。

特に私は父の仕事の関係で、幼い頃はスイスのジュネーブというところで育ちました。ですから、実は畳の家に住んだことも、木造の一軒家に住んだこともなく、小さい頃はこんな小学校に通っていました。だいたい20人ほどのクラスで、その中に15くらいの国籍があり、2人いたらマジョリティという感じです。こうしたところで育ちましたので、正直なところ、日本の歴史文化はおろか自分の家の歴史に関してもたいへん疎くて、なんなら漢字が苦手だったりします。ですので、そういう人間が喋っているという前提で聞いていただければと思います。

今は「株式会社curioswitch(キュリオスイッチ)」という会社で、デザイン、イベント、映像を手がけています。そしてもうひとつ「七五(ななご)」という伝統文化をサポートする NPOも運営し、こちらでもさまざまな取り組みを実施しています。京都府さん、京都市さん、「DMO(ディーエムオー ※京都市観光協会)」さんとも連携して、「陽明文庫(ようめいぶんこ)」を軸にしながら、いろいろな観光コンテンツを作るなど、たいへんお世話になっております。

寛永行幸のロゴについて、実はこのお話をいただいた時、「はて、これをどうしたものか」と、思いを巡らせました。こういった歴史的な出来事をロゴマークにするというのは、非常にハードルの高いことで、「なかなか、これは困ったな」と。とりあえず当時の御所から二条城はどんな道のりだったのだろう、と地図を見ていたら、ふと、「二条城が少し傾いてるよね」と気づいた。で、これはどうしたわけだろうと、いろいろ調べました。

昔は北というのは、星を見て決めたそうです。しかし江戸時代ごろには新しい技術が海外から入ってくる、それが磁石(方位磁石)だったそうです。で、その磁石によって北を定めると、地球の磁場の関係でほんの少し傾く。だいたい、それが3度ぐらいだといいます。「なるほど、二条城は3度傾いているんだ」と、その発見をして、ではこのふたつの四角が少しだけズレて重なったら面白いのではと考えました。この寛永行幸という出来事自体、もともとは対立してうまく交わらなかったところが重なり合って、だけど3度はズレているよ……みたいな、そういうところも面白いなと思い、このロゴの発想に至ったのです。

ロゴの中央に書いてある「寛永行幸」という文字ですが、先ほど申し上げた、先祖の信尋がこの時期に関白を務めており、詳細な日記を残していますので、その中から取ったものです。よく見ていただくと、その文字の方も3度、背景とズレていたりします。

これからいろんな方々とコラボレーションなどを企画していて、とりあえず何でも3度ずらしてみよう、と。〝上と下が3度ズレているサンドイッチ〟とか(笑)、とりあえず勝手に会社のロゴを3度ずらしてみる、とか、いろんなことを相談しておりますので、ご期待いただければと思います。「3度ずらしたい」っていう方がいたら、ぜひ、お願いいたします!(会場からも笑い声)

さて次に、信尋がどんな人物だったかという話です。後陽成天皇(ごようぜいてんのう)の第四皇子です。実は(信尋の)父である近衞信尹(のぶただ)に男子がいなかったため、信尹の娘が嫁いだ先で産んだ子を養子にしたかたちになっています。

寛永行幸のときに信尋は27 歳ぐらい、若くして、たいそう高い位置にいました。また、たいへんな文化人で和歌に優れ、連歌も巧みで、さまざまな芸道に通じていたといわれます。書道に関しては、父・信尹の「三藐院流(さんみゃくいんりゅう)」(近衞流)の書家であり、茶道は古田織部に学んでいました。実兄である後水尾天皇を中心とする宮廷文化・文芸活動の中心にいたと言われています。

余談ですけれども、島原(遊郭)の太夫さんを灰屋紹益(はいや・じょうえき)と取りあったという、「ほんまかいな」という逸話も残っています。後に太夫さんは灰屋紹益と結婚してしまうのですが、計算してみると灰屋紹益は信尋より一回りくらい下なんです。ですから一回り若い相手と太夫さんを争っていたという……まぁまぁ、これをうらやましいというか、なんというか、なんですが。

次に、近衞家と武家という文脈で見ていきます。先ほど申し上げたように、当然、宮中とは近しい関係にあります。一方で、武家とはどうだったかというと、父の信尹が朝鮮征伐に行くと言った際には後陽成天皇に止められており、天皇から「まあ、落ち着け」という内容の書状が陽明文庫に残っています。

そんなこともあり、信尹は薩摩に飛ばされ、その関係で島津さんなんかにはたいへんお世話になっていたようで、当然、武家とも親しくしていたと。さらに、それより前の代の近衞前󠄁久(さきひさ)という人物は、半世を流浪し、各地の戦に出陣しているんですね。上杉謙信とも非常に親しく、そして織田信長とは鷹狩を通じて交流していたといい、意外と公家も武家と、この頃から仲良くしていたとの記録があります。そういった文脈の中で、ちょうど両方をよく知っているから、そこのコーディネート役にと、落ち着いたのではないかと思います。

本題の中にある文化外交という文脈で、話が少し飛びますけれど(お話しします)。「文化外交って、何?」というところを、改めて調べてみました。

すると、だいたい皆さんご想像のとおり、「文化を通じた外交」となるんです。英語に直訳すると「cultural diplomacy(カルチュラル・ディプロマシー)」。これをウィキペディアで調べると、26の言語でこの言葉が説明されていますが、なぜか日本語バージョンの説明がない。外務省のホームページをみると、文化外交というよりも、もう少し違う文脈のディプロマシーの中に文化外交が入っているということで、ウェブサイトにも直接的には書いてありません。

さらに調べていくと、いろんな例があって、これを見ていただきたいのですが、まずビートルズの例ですね。ビートルズが冷戦下でどんな役割を担ったか、ちょうど冷戦下には米ソが競い合い舞台芸術を通じてさまざまな文化外交を、実は裏でやっていたと。写真展を開催するなど、その頃もかなり活発に、政府主導で文化外交を行っていたそうです。これは純粋に有名な例というか、逸話というか、公文書で残っているわけではありませんが、ウィーン会議の時、―ちょうどナポレオンの時代ですね、フランスが、ヨーロッパ中が戦争で荒廃し、非常に不利な立場に立たされていても、徹底的に自国が誇る食事でもてなし、その結果として非常に有利に会議を導いたという、そういう話があります。僕の友人に藤沢文翁という劇作家がおり、これを題材にした演劇を先日上演しており、この話を聞いた時に、なるほどな、と思いました。

これはフランスの外交官のタレーランのアイデアで、その時代の有名シェフを投入して、各国の首脳をもてなし、会議を成功に導いたそうです。また、近年ではタイ国政府が世界中にタイという国を知ってもらうためには、自国が誇る料理だろうということで、政府主導で「タイランドキッチン オブ ザ ワールド」というキャンペーンをやっているそうです。これによって世界中にタイ料理で進出する時にサポートしたり、それをまたPRに使ったり、ということを行っているようです。こうしたものをいろいろ調べながら、「なるほど、これはもしかして、現代でいうとブランディングという話に非常に近いのではないか」と思いました。

ブランディングとは、まさに我々が今、仕事でやっていることです。殊に日本は世界中から注目を浴びていて、非常にブランド価値が高いと言われています。グラフィックソフトなどを作っている「Adobe(アドビ)」という会社が、世界中のそのクリエイターなどを対象に世界で一番クリエイティビティが高い、つまり文化度が高い国はどこかとアンケートを実施していて、その中で日本は何度か1位を取っているんです。ところがそのアンケート結果を日本人だけに絞って見ると実は、日本人は日本をトップに置いておらず、アメリカなどをトップとしている。意外と、自分たちは世界中から注目されていて、文化度が高く非常にクリエイティブだと思われているのにも関わらず、意外と自己肯定感が少ないんじゃないのかと。そういったアンケートがあって、政府主導で、これからどんどん文化外交、そして、国のブランディングというものを意識していったほうがいいんじゃないかなというように思いました。

私は幼い頃にスイスに育っていて、スイスという国が、いかに観光立国として、また産業――時計産業とかチョコレート産業とかいろいろありますけれど――いかにそれで世界の中でのブランディング価値を高めているか、ということが非常に肌感覚でよく分かるんです。例えば外務省のホームページで、日本はブランドに関わるような記述はあまり見当たりません。ところがスイスの政府のウェブサイトに行くと、〝スイスのブランドガイド〟のようなガイドブックがダウンロードできるようになっています。これはその一部ですが、スイスという国の、例えば国旗であるとか、スイスという国の名前の表記であるとか、そういったものに関するガイドラインがちゃんと国のホームページにあります。こうして例えば、広報宣伝時にこういった写真と組み合わせるには、どういった色彩を重視したらいいのかとか、どういう使い方をしたらいいのかなど、かなり事細かに書いてあります。これも観光パンフレットに使用する場合の、そのガイドラインです。例えばこういうレイアウトにし、下の方にこういう赤い帯を入れて、国旗の使い方はこういう風にして、と、そういったことまで細かく指示されています。

こういったものは非常に参考になると思います。寛永行幸もそういった意味で、ひいては1600年代に行われたひとつのブランディングの施策だったのではと思いました。ちょうどそれを担っていたのがうちの先祖である信尋ですが、おそらくその当時の公家の役割というのは、天皇を中心とする大きな文化の中心があって、それをブランディングに使う、すなわちそれが文化外交そのものだったんじゃないかと。天皇家、そして宮中というものがパトロンであり、それを全面に押し出したブランディングということを実は考えていたのではないか。当時、ブランディングっていう言葉は当然ありませんが、おそらくそういうことを意識していたんじゃないかと。

例えば〝政(まつりごと)〟というもの。基本的に、当時おそらく宮中で行われていたことの一番のメインは政だといわれていると思います。その内容は、和歌であったり、芸能であったり、イベントごとがあったりと、現代の政治とはイメージが違いますが、当時としてはこれらが最も重要なことと捉えられていたんじゃないかなと。それを現場で仕切っていたのが多分、うちの先祖たちで、実際の業務としてはおそらく装束の発注やら、段取り……現代的に言うとオペレーションマニュアルを作るっていうことですね、そんなことやらを請け負う、イベント制作会社とか広告代理店みたいな業務だったのではないかなと思います。そう考えると、現在、私が手がけていることは、図らずも一緒です。

その当時の日本は、我々が今、想像するよりはるかにインターナショナルで、意外と大陸のほうから文化が入れ替わり、立ち替わり入ってきた時代だと思います。漢字文化、そして装束、芸能も、ほとんどいろんなところから来ていますけれど、それを否定するのではなく取り入れて、融合させて、自分たちのオリジナルのアレンジにしていくか、そういったことに心を砕いていたのではないかなと。宗教もしかりで、我々の先祖は、仏教の伝来や、その仏教を取り入れることにもさまざまなかたちで関わっていますけれども、いかにそういったものをリスペクトしながら共存していくかというところに努力を重ねていたのではないかと思います。

ところがそれについて、今の我々は気がついてないというか、過小評価しているのではと思います。これが本当は、我々のアイデンティティで非常に重要なもので、世界が我々を評価している一番のポイントなのに、そこのアイデンティティの意識がずれているのかなとも思います。ですから、この寛永行幸四百年祭というきっかけは、まさにそういったことを再認識して、そして少し違う視点からいろいろと見ていただいて、いい意味で遊び感覚でイベントを楽しみつつ、そうしたことを考えるようなきっかけに繋がればいいなと思っています。

こちらは、2025年の末ぐらいの記事です。世界の観光地のデスティネーションのランキングが毎年、発表されます。「Condé Nast(コンデナスト)」という有名な出版社があり、そこの「Traveler(トラベラー)」という雑誌が世界でも特に権威があるといわれており、同誌の世界ランキングで日本が上位を独占しています。京都と東京がそれぞれランキングのワンツーフィニッシュになっています。このように、非常に世界は日本に注目しているということは間違いないと思います。その記事をちょっと要約しました。

「Readers’ Choice Awards(リーダーズアワード)」で100点満点中、95.36点を取って首位となったコメントの中に、「日本の魂は依然として、その慣習、祭り、日常のシンプルさに根ざしている。訪問者は海岸沿いの町を散策することから、地元コミュニティの静かなリズムに浸ることまであらゆることに喜びを見出す。古き良きものと新しいものの、完璧なバランス、自然と都市の魅力、卓越性のこだわりを備えた日本は単なる旅行先ではなく、旅行者の心に残る体験であり続ける。そして世界的な舞台で継続的に成功をおさめていることは日本の魅力が単なるトレンドではなく、美しさ、文化、人間性の最高峰を発見するための時代を超えた招待状であることを証明している」と、大絶賛されています。

このように、知らず知らずのうちに日本に長いこと伝えられ、育まれてきた伝統文化というものが、こういった評価に繋がっているのではないかと思います。今年1年間、寛永行幸四百年祭を機に、改めて皆さんにそういったことに触れていただきつつ、これをまた世界に発信していけるようなイベントになればいいなと思って、お話の最後とさせていただきます。ありがとうございました。

行幸行列再現まであと●日!