寛永行幸四百年祭をつくる・支える
「能」を通して
400年前を生きる
能楽師シテ方観世流
十四世林喜右衛門さんHayashi Kiyemon
撮影協力:河村能舞台
寛永3(1626)年に行われた「寛永行幸」は、後水尾天皇が御所から二条城へ行幸し、朝廷と幕府方が一つになる姿を天下へ示した歴史的な出来事でした。京都で花開いたさまざまな文化がその後、日本中に広がっていきます。「平和な時代があったからこそ、文化は育ち、受け継がれてきたと思っています」と能楽師シテ方観世流の十四世林喜右衛門さん。その林さんは寛永行幸四百年祭の一環として、その名も「寛永行幸」という新作能の企画・演出に携わり、令和8(2026)年9月、自ら舞台に立ちます。二条城への行幸から400年という記念すべき年、京都御所からほど近い金剛能楽堂にて能を上演し、現代へ伝えたい思いとは──。
寛永行幸との出会い
林喜右衛門家と寛永行幸との不思議な縁は、数年前のコロナ禍のさなか、家に伝わる古文書を紐解いたことから見えてきたと言います。
「何十年も開かれていなかった文書の中に、昭和元(1926)年に行われた『創始三百年』記念能の記録を見つけたんです。それでは創始400年はいつになるかと調べると、2025年でした。その時、『これは家名でもある名跡、喜右衛門を襲名する節目なのかもしれない』と感じました。ちょうどその頃、寛永行幸四百年記念のプロジェクトのお話をプロデューサーの濱崎加奈子さんからいただきました。家に伝わる記録には、寛永2(1625)年から能楽を生業としたとあります。お話を聞いた瞬間、『もしかしたら初代が寛永行幸時の猿楽(能楽)にも関わっていたのではないか』と思ったのです。史料が残っているわけではありませんが、そう考えると、不思議なくらいすべてがつながっていく気がしました」
寛永行幸で後水尾天皇をもてなした饗応プログラムには猿楽がありました。武家の式楽猿楽が公に天皇の前で上演された能楽史の中でも画期的な出来事で、当時の猿楽の名役者の出演記録も残っています。京都の地謡方(じうたいかた)*1も集められたと考えられ、初世林喜右衛門がそこに連なっていた可能性は大いにあります。
*1)地謡方:詞章を合唱して一曲の能を支える演者
林喜右衛門家400年と州浜の紋
林さんが身に着ける着物には「丸に州浜(すはま)」の家紋が入っています。その家紋のルーツも、約400年前にありました。
「わが家では『伊達政宗公へお菓子の州浜を献上したところ、礼として銀の玉を箸の上に添えて返してくださった。それを記念して家紋にした』と伝わっています。史実として証明できるものはありませんが、私たち林家にとっては、400年前のつながりを伝える大切な証しです」
寛永行幸では、全国から数百人の大名が京都に結集。徳川幕府三代将軍・家光のお供として行列したなかには陸奥守で初代仙台藩主・伊達政宗もいました。家紋の由来である、州浜の献上と返礼の出来事も、「この寛永行幸時のことだったのではないか。うちの家の者はそう信じて、400年やっている次第です」と林さん。
新作能「寛永行幸」への挑戦
2024年には寛永行幸四百年を前に、寛永行幸の猿楽上演時に起きたハプニングを題材にした能楽劇「寛永能楽騒動記」に企画から携わり、出演した林さん。そして2026年9月6日、満を持して新作能が上演されます。
「寛永行幸は五日間にわたって行われました。その壮大な出来事を一曲の能に凝縮し、400年前を知っていただく入り口になる作品をつくれないだろうか。それが出発点でした。『後水尾天皇は、どんな景色をご覧になっていたのだろう』『家光公は、どんな思いで都を歩いたのだろう』『町の人たちは、その行列をどんな気持ちで見物していたのだろう』。当時の人が何を考え、何を感じていたのか、そうした答えのない問いを、想像の力も借りながら一つひとつ能の世界で形にしていく。それが今回の創作でした」
今、寄せる「公武和合」への思い
今回の作品で一番大切にしたかったのは、「公武和合」という考え方だと林さんは語ります。公家と武家がともに手を携え、平和の世の象徴として行われた行幸。その行幸に思いを寄せ、観世流の金剛流の金剛龍謹さんと林喜右衛門さんが、流派を越えて舞台を共にすることは大きな意味を持つといいます。
「能の世界では、それぞれの流儀が長い歴史を積み重ねながら芸を磨いてきました。型も違えば、大切にしている美意識も少しずつ違う。だからこそ、お互いの流儀には、それぞれに魅力があります。その違いを消してしまうのではなく、互いを尊重しながら、一つの作品をつくり上げる。その姿そのものが、今回お伝えしたいことでもあります」
そして新作能「寛永行幸」には、大きな見どころがあるといいます。
「作品の終盤では、後水尾天皇、徳川秀忠公、徳川家光公が同じ舞を舞います。史実ではありませんが、“公武和合”というテーマを表現するには、この“相舞(あいまい)”が最もふさわしいと思いました。さらに今回は、金剛流、観世流、そして普段は舞を舞うことのないワキ方にも加わっていただきます。三人が同じ型で舞う姿は、これまであまり例のない挑戦になると思います」
絵巻物の壮大な世界観を表現
寛永行幸を題材にした壮大な新作。試行錯誤を繰り返しながら、林さんの400年前への思いは高まっています。
「実際の寛永行幸には数え切れないほどの人々が参加しました。そのすべてを舞台で再現することはできませんが、私は二条城行幸図屏風がそのまま動き出したような世界をつくりたい。雅やかな装束をまとった役者が舞台いっぱいに並ぶ。その一瞬だけでも、お客様が400年前の京都へ入り込んだような気持ちになっていただけたら、これ以上うれしいことはありません。能には、一つの答えがありません。観る人それぞれが、自分の中で答えを見つけてくだされば、それで舞台は成功だと思います」
互いを認め合う文化が平和を拓く
能楽では善と悪、自己と他者、現在と過去を往き来するような世界がしばしば立ち現れます。異界の者への思慕や寛容をも示す芸能は、他者を尊重し合う日本の文化をある種映し出しているともいえます。
「能楽を一つのきっかけに日本という国や、日本人の心に触れていただく。それは、背景を異とする人々が互いの文化を理解することにもつながる。世界には今も争いがあります。だからこそ、善悪を決めるのではなく、お互いを認め合うことが、これからますます大切になるのではないでしょうか」
林さんの目は、さらに400年後の世界にも向けられています。
「400年前には新しかったものが、今では“伝統”と呼ばれる。流派を越えた共演をはじめ、私たちが今回挑戦しているさまざまなことも、400年後には当たり前になっているかもしれません。私一代ですべてを完成させるのではなく、後の人たちが少しずつ積み重ねていけばいい。その頃も能楽が続き、文化が受け継がれ、争いのない世界になっていたら、本当にうれしいですね」
林喜右衛門家とは…
観世流シテ方・林喜右衛門家は、京都を拠点に約400年にわたり能楽を受け継ぐ。家に伝わる古文書には、寛永2(1625)年から能楽を生業とするとの記録が残る。江戸時代以降、京都で謡を指南した「京観世五軒家」の中で唯一現存する家。もとは素謡(すうたい)が専門の家だったが、十世の時代から能の立方(たちかた)*2も勤めるようになったと言われる。当主は代々「喜右衛門」の名を襲名し、京都の能楽文化を伝承してきた。
*2)立方:シテ、ワキなど謡と演技を担当する演者
寛永行幸四百年祭記念能
寛永行幸400年を記念して創作・初演される新作能『寛永行幸』。寛永3(1626)年に行われた後水尾天皇の二条城行幸を題材に、公武和合をテーマとして描く。シテ方観世流・林喜右衛門さんは共にシテを勤める金剛流若宗家・金剛龍謹さんとの異流派共演に加え、祝言『乱』(『猩々乱』)にも挑む。
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文:中野弘子/写真:久保田狐庵、久保田康夫[バウプラス京都(株)]/
編集:永野香・藤本りお[アリカ]/
WEB:尾花朱美