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行事開催報告

2026年9月16日

7月11日(土)寛永行幸四百年祭記念シンポジウム「寛永行幸四百年 ―京文化と高岡を結ぶ歴史の糸―」@富山県高岡市

7月11日(土)富山県高岡市生涯学習センターにて、寛永行幸四百年祭記念シンポジウム「寛永行幸四百年 ―京文化と高岡を結ぶ歴史の糸―」が開催されました。

寛永行幸四百年祭では、寛永文化ゆかりの地と連携しながら、さまざまな記念事業を展開させていただいておりますが、そのひとつとして注目させていただきましたのが、富山県高岡市とのつながりです。

京都と高岡を結ぶ「行幸」の歴史

高岡とのつながりを紐解く鍵となるのが、寛永行幸から遡ること38年、天正16年(1588)に行われた「聚楽第行幸」です。

豊臣秀吉が後陽成天皇を聚楽第へ迎えたこの行幸には、前田利家も参列しました。その際の御所車を利家が秀吉から拝領し、のちに二代当主・前田利長が高岡町民へ与えたことが、現在まで受け継がれる「高岡御車山祭」の起源とされています。

「行幸」を通じて生まれた文化の記憶が、京都から前田家、そして高岡へ――。高岡には「御車山」という具体的な文化財を通して、桃山時代の華やかな文化と美意識が現在まで受け継がれています。

京都と高岡を結ぶ歴史の糸

このたびの講演では、寛永行幸四百年祭実行委員長・梅原和久がコーディネーターを務め、総合プロデューサー・濱崎加奈子、行列文化監修の西山剛氏らが登壇いたしました。

寛永行幸を現代に振り返る意義や、高岡に残る「洛中洛外図」などを手がかりに、京都と高岡との歴史的なつながりが紹介されました。

また、高岡市美術館館長・村上 隆氏による講演「御車山祭にみる京文化と高岡」では、豊臣・前田の時代から御車山へ、さらに寛永期以降に花開いた職人の技術へと受け継がれてきた高岡の歴史にも光が当てられました。

京都から遠く離れた高岡にも、400年前へとつながる文化の足跡が残されています。
「寛永文化ゆかりの地」として高岡の歴史を改めて見つめ、京都と高岡を結ぶ長い「歴史の糸」を感じる機会となりました。

(撮影: 橋本正樹)


こちらの公演後に村上隆氏が北日本新聞社へ寄稿された原稿を、特別にご提供いただきました。
下記もぜひあわせてお読みください。


「寛永四百年祭記念シンポジウムに寄せて」

村上 隆
高岡市美術館館長
大正大学京都アカデミア学術顧問・教授
京都美術工芸大学名誉教授

「行幸」とは、天皇が御所の外に出向くことをいうが、「寛永行幸」は、大坂夏の陣で豊臣家の滅亡から11年を経た1626(寛永3)年、三代目徳川将軍家光が後水尾天皇を二条城に招き、もてなした特別なイベントである。天皇と将軍の融和と平和の到来を世に知らしめたこの行幸は、単なる政治的な和睦の誇示にとどまらず、いわゆる「日本らしさ」の文化・芸術の基盤となる「寛永文化」を大きく開花させる契機となった。

400年目にあたる今年2026年、京都府と京都市の「文化庁連携プラットフォーム」プロジェクトの企画「寛永行幸四百年祭」は、二条城を中心に寛永文化ゆかりの地において、「寛永行幸」の行事を再現するイベントの実施とともに、「寛永文化」を振り返る記念祭である。

京都市の二条城保存整備委員会委員、また二条城二の丸御殿の障壁画部会長を務めるなど、京都とのご縁が深い私に、寛永行幸四百年祭実行委員会から、「高岡市と連携できないか」と打診があり、高岡の歴史を紐解く中、「聚楽第行幸」に思いを馳せることになった。「聚楽第行幸」は、1588(天正16)年、時の関白豊臣秀吉が、朝廷との関係性を誇示すべく後陽成天皇を聚楽第に招いた大イベントであり、「行幸」を政治ショーとした「寛永行幸」の先駆的存在である。行列に参列した前田利家がその時の御所車を秀吉から拝領し、1609(慶長14)年高岡開町の際、二代当主前田利長が高岡町民に与えたことが、高岡の「御車山祭」の起源である。高岡は、「御車山」という具体的な文化財を通じて、桃山時代の絢爛豪華な政治ショーの記憶を現代に伝える極めて稀有な地域であり、御車山祭は、単なる地方の伝統行事ではなく、「桃山から寛永へと至る、美意識による天下泰平のグランドデザイン」を具体的なもので継承している唯一無二の証明なのである。

去る7月11日、高岡で開催された寛永行幸四百年祭記念シンポジウム「寛永行幸四百年 ―京文化と高岡を結ぶ歴史の糸―」は、京都から四百年祭実行委員長の梅原和久氏(京都府生活文化部副部長)をコーディネーターに、四百年祭総合プロデューサーの濱崎加奈子氏(京都府立大准教授)、行列文化監修の西山 剛氏(大谷大講師)をパネリストに招いての豪華なイベントとなった。濱崎氏は、「いまなぜ寛永行幸なのか?」とこのイベントの意義を説き、西山氏は、高岡に残る「洛中洛外図」から京都とのご縁を詳説した。私は、高岡が単に地方の城下町・産業都市であるだけでなく、豊臣・前田の栄華(桃山)、御車山の下賜(開町)を経て、寛永期以降に職人技術が開花し、それが現代にまで至る一本の糸で結ばれた、まさに日本文化史のメインストリームが息づく街であることを強調した。高岡が「寛永文化ゆかりの地」と呼ぶにふさわしい歴史的背景を持つ「歴史都市」であることを、参集された多くの市民の皆さんと共有できた有意義な時間となった。これを契機に高岡をアピールするためのさらなるステージアップを目指した今後の取り組みに大いに期待したい。

行幸行列再現まであと●日!