2026年9月5日(土)ANAクラウンプラザホテル京都にて、「寛永行幸四百年祭 記念式典」を開催いたしました。
ご協力、ご協賛いただいている方々、また府民・市民の方々あわせて500名の方々にお集まりいただきました。式典では、主催者から、京都府知事、京都市長、商工会議所副会頭よりご挨拶、またご来賓からご祝辞を頂戴いたしました。
主催者挨拶 西脇隆俊 京都府知事

ご挨拶に先立ちまして、熊本地震、そして8月の千葉豪雨によりお亡くなりになられた皆様に、謹んで哀悼の意を表しますとともに、ご遺族の皆様に心よりお悔やみを申し上げます。また、被災されましたすべての皆様に、心よりお見舞いを申し上げます。熊本地震につきましては、関西広域連合のカウンターパート方式により、京都府が担当する宇土市、八代市への支援を行うほか、DMAT、給水車、保健師チーム、警察等を派遣しております。両被災地の一日も早い復旧・復興を心よりお祈り申し上げます。
改めまして、寛永行幸四百年祭記念式典を開催いたしましたところ、ご来賓の皆様をはじめ、多くの皆様にご臨席を賜り、誠にありがとうございます。また、開催にあたりご尽力いただきました関係の皆様にも、厚く御礼を申し上げます。
この記念式典は、寛永3年9月6日から400年という節目にあたり、開催するものでございます。
寛永行幸四百年祭は、400年前と現代をつなぐ壮大な事業でございます。本日は、その取り組みについてご説明させていただきますとともに、記念講演会では、後水尾天皇と寛永文化をテーマに、MIHO MUSEUMの熊倉館長にご講演をいただくこととしております。また、明日には金剛能楽堂において、寛永行幸の際に実際に演じられた「猩々乱」と、寛永行幸の様子を再現した新たな演目をご披露いただく予定となっております。そして、12月6日の行幸行列の再現イベントに向けては、当時の様子をできる限り忠実に再現するため、装束や牛車の復元制作、参加者の皆様への礼法・所作の研修などが進められているところでございます。ご参加の皆様の熱意により、400年前の壮麗な歴史絵巻が、今まさによみがえろうとしております。
寛永行幸は、朝廷と武家の融和を象徴するとともに、徳川の世であることを日本列島全体に示す、非常に歴史的な出来事でございます。そして、寛永行幸を契機として花開いた寛永文化は、芸術や学問、生活文化など幅広い分野に影響を与え、日本文化の発展に大きな足跡を残したものでございます。
さまざまな四百年祭の取り組みを通じまして、京都が育んでまいりました歴史と文化の価値を改めて見つめ直し、それを次の世代へと引き継いでいく契機にしたいと考えております。関係の皆様には、引き続きのお力添えを賜りますよう、お願い申し上げます。
結びになりますが、改めまして、本事業にご協力いただいております皆様に心より感謝を申し上げますとともに、ご参加の皆様のご健勝とご多幸をお祈りいたしまして、感謝の言葉とさせていただきます。
本日は誠にありがとうございました。
主催者挨拶 松井孝治 京都市長

実行委員会のメンバーの一人として、本日の記念式典ならびに講演会の開催にあたり、まずはご尽力いただきましたご列席の皆様、そしてご協賛いただきました皆様に、心から感謝を申し上げます。
先ほど知事からもお話がありましたように、日本列島はさまざまな災害に見舞われております。世界に目を転じましても、さまざまな紛争が後を絶ちません。しかし、そのような時代であるからこそ、400年前、大坂夏の陣が終わってわずか11年というタイミングで寛永行幸が行われたことに、改めて思いを馳せたいと思います。
寛永行幸では、武家と公家という二つの大きな文化が融合し、寛永年間には、今日なお京都のさまざまな芸術・文化の礎となる活動が花開きました。その歴史を、京都市長として、そして地元の一人として、改めてかみしめたいと思います。先ほど知事からもお話がありましたので重複は避けますが、私どもは二条城を管理する立場から見ましても、400年前に公家と武家がしっかりと融合し、新たな文化を花開かせたということは、大変意義深いことであると感じております。そして、400年後にその素晴らしい歴史的・文化的資産を受け継ぐ我々が、これをどのような意味合いを持って捉えるべきなのかということを、考えずにはいられません。二条城を舞台に、アンゼルム・キーファーさんによる素晴らしい展覧会も開催されました。世界に紛争や災害が後を絶たない今だからこそ、我々もさまざまな文化をしっかりと融合させ、新たな文化を生み出していく。そして、令和の時代に何が起こり、どのような文化の融合が行われたのかを、次の時代へと伝えていく。それが、400年の時を経て歴史的・文化的資産を受け継ぐ私どもの責任ではないかと考えております。
本日の講演会、そして明日の能楽堂での素晴らしい能楽も、大変楽しみにしております。後水尾天皇と家光公が鑑賞された「猩々」に由来する「猩々乱」、そして新作のお能が演じられることも含め、大変興味深い両日になることと存じます。また、12月に予定されている寛永行幸そのものも、非常に楽しみにしております。
今日に至るまでさまざまな準備を進めてこられた皆様に、心から敬意を表します。そして、この寛永行幸四百年祭が、12月の行幸行列の再現まで含め、素晴らしい取り組みとして、将来に一つの文化資産として残っていくことを心から願っております。
改めまして、ご列席の皆様の今後ますますのご健勝を心よりお祈り申し上げ、私からの冒頭のご挨拶とさせていただきます。
主催者挨拶 鈴木順也 京都商工会議所副会頭

京都商工会議所を代表して、一言ご挨拶を申し上げます。
まずは、寛永行幸四百年祭記念式典が、このように盛大に開催されますことを大変ありがたく、心より御礼申し上げます。また、これまで関係各位におかれまして、さまざまなご協力を賜りましたことにつきましても、厚く御礼申し上げます。
知事、市長からもお話がございましたとおり、寛永行幸は、朝廷と幕府の融和を印象づけ、その後の我が国の文化の発展、さらには人々や物の交流、流通などを促進し、我が国の経済発展にも寄与した、大変歴史的な意義を持つ出来事でございました。今日のように、社会の環境、あるいは人々の価値観や生活習慣までもが、短期間のうちに大きく変わり得る時代において、400年前に起こったこの見事で素晴らしい出来事に思いを馳せることは、非常に意義深いことではないでしょうか。
私たちの京都は、もとより文化と産業が見事に融和しながら発展を遂げてまいりました。私ども京都商工会議所といたしましても、今後とも産業界、経済界の立場から、京都のさらなる発展に寄与するべく活動してまいりたいと考えております。
結びに、この寛永行幸四百年祭の取り組みが成功裏に進められますことを心より祈念いたしますとともに、皆様方のこれまでのご協力に改めて感謝申し上げ、ご挨拶とさせていただきます。
ありがとうございました。
ご祝辞 伊藤学様 文化庁長官

本日は寛永行幸四百年祭記念式典が多数の京都を代表する皆様のご臨席のもと、このように盛大に開催されますことを心よりお慶び申し上げます。
まず初めに、熊本地震、また各地を襲っております豪雨によりお亡くなりになられた皆様に、心よりお悔やみを申し上げますとともに、被災された多くの皆様に、心よりお見舞いを申し上げます。一日も早い復旧・復興が果たされますよう、私どもとしても政府一丸となって、しっかりと取り組んでまいりたいと考えております。今回の熊本地震では、熊本においても大きな被害がございました。実は、地震の発生後、非常に早い段階から私どものもとには、地元の誇りである文化財、そして文化の復旧・復興に政府として全力を挙げて支援してほしいという声が寄せられております。日常の生活もままならない状況の中にあっても、地域の誇りである文化の持つ力を、地域の復興や人々の元気につなげてほしいという声が寄せられているのです。改めて、文化の持つ力の大きさ、そしてその重要性を感じ、私どももしっかりと取り組んでいかなければならないと考えております。
この「文化」という観点から見ますと、寛永行幸は、先ほどもお話がございましたように、もちろん公武の政治的な融合という思惑の中で企図されたものだと思います。しかし、それにとどまらず、むしろそれをはるかに超える大きな効果として、寛永文化を花開かせ、それを日本全国へと伝播させ、さらに新たな文化を生み出していったということが挙げられるのではないかと思います。200名を超える各藩の大名がこの京都の地に集結し、人々が交流する中で、京都の素晴らしい文化を見て、触れ、そしてそれをそれぞれの地域へ持ち帰り、自らの地域の文化と融合させながら、さらに新しいものを創造していく。そうした取り組みが、400年前に行われたわけでございます。
私どもも、京都にお世話になりましてから、間もなく3年半が経過しようとしております。この間、改めて京都が「文化の都」であることを実感しております。そして、この地から日本全国、さらには世界に向けて、日本の文化の素晴らしさを発信していく。寛永行幸四百年祭を機に、私どもも改めて気持ちを新たにしているところでございます。今回の準備にあたりましては、関係の皆様に本当に多大なご尽力をいただいております。この一年、二年だけではなく、先ほどご紹介のありましたスポーツ文化ワールドフォーラムの頃から、実に長年にわたって準備を積み重ねてこられましたことに、心より敬意を表します。そして、12月6日の行幸再現が、この事業、そして祭典の本番を迎えることになるかと思います。それに向けて、さらに京都の力を結集していただき、この取り組みが日本全国、そして世界に向けて京都と日本の文化の素晴らしさを発信する機会となりますことを、心よりご祈念申し上げます。
この寛永行幸四百年祭が大成功を収めますことを強く祈念いたしまして、私からのお祝いの言葉とさせていただきます。
ご祝辞 勝目やすし様 衆議院議員

本日は寛永行幸四百年祭記念式典が、京都を代表する皆様に多数ご臨席を賜り、このように盛大に開催されますことを、心よりお慶び申し上げます。
私は、寛永行幸四百年祭にあたり、地元選出の議員の一人として関わっております。12月に行われる行幸の再現に向けて、事業をどのように組み立てていくかというご相談をいただき、ささやかながらアドバイスをさせていただくなど、準備に関わってまいりました。本日、このような栄えある場に立たせていただけますことに、改めて心より感謝申し上げます。
400年前の世情につきましては、先ほど松井市長からもお話がございましたように、大坂夏の陣に至るまで戦国の世が続き、織豊時代を経てもなお、社会の安定は十分に確立されていなかった時期であったと思います。日本の統治機構については、権力と権威を分離しながら社会の安定を図ることが、長年培われてきた日本の統治の知恵であったといわれています。世情が大きく乱れ、人々の暮らしもままならない時代を長く経た後、社会の安定をしっかりと築いていかなければならない。寛永行幸は、まさにその必要に迫られていた時期に行われたものだったのではないかと思います。その中で、権力を担う存在としての幕府と、権威を担い続けてこられた天皇との関係を、どのように築いていくのかということが問われていたのではないでしょうか。
寛永行幸は、後水尾天皇が御所を出られ、広く人々がそのお姿を拝することのできる形で二条城へ行幸された出来事です。これをどのように捉えるかということですが、もしかすると、天皇という存在が幕府の権力に寄り添ったように見えるかもしれません。しかし、逆に捉えれば、天皇が幕府による統治を認め、いわばそれを保証することによって、その体制が象徴的に確立されていく。寛永行幸は、そうした意味を持つ場でもあったのではないかと思います。そして、その意義は統治機構にとどまりません。寛永行幸を契機としてもたらされた社会の安定と平和こそが、その後の文化を形づくっていったのではないでしょうか。
今なお息づく、日本を代表するさまざまな文化にとって、寛永年間は一つの大きな転換期であり、いわば日本版のルネッサンスともいえる時期であったと思います。その後、長く続く平和と安定のもとで、人々の暮らしが安定し、より創造的な世界が形づくられていきました。そして、その成果が近代、現代へと受け継がれているのだと思います。明治維新を迎え、西洋列強に囲まれる中で、日本が独立を維持していくうえで大きな力となったのは、人材の力でありました。その人材を育んできた背景には、寛永行幸を契機にもたらされた社会の安定、それに基づく文化の発展、そして教育や人づくりがあったことは間違いないと思います。
京都の皆様には釈迦に説法かもしれませんが、町衆が学校をつくったのは、国が学制を敷く3年前、明治2年のことでありました。また、今回の四百年祭にもご協力いただいております泉屋博古館では、今年の年初に鹿子木孟郎の展覧会が開催されていました。鹿子木孟郎の生涯を拝見しますと、明治初期には岡山で西洋絵画の基礎を学んだことが紹介されていました。近代化が始まって間もない時期に、江戸でも京でもない地域で、そうした教育が行われる素地が築かれていたわけです。そこに、我が国の、そして江戸時代という時代が培ってきた力を見ることができるのではないでしょうか。私は、このような事例から、日本の力、そして寛永の時代がもたらした安定の力を改めて感じております。
今、災害が多発し、世界では紛争が絶えず、国際秩序も大きく揺らいでおります。そうした中で、何としても社会の平和と安定を守り抜き、日本自身が紡いできた文化を次の時代へとつないでいく。その灯火として、今回の四百年祭には大きな意義があると考えております。文化庁が京都に移転し、京都に根を下ろしながら活動を広げていただいていることも、大変意義深いことです。もう一つ重要なのは、京都を名実ともに文化首都として、全国の皆様にさらに認知していただくことであります。今回の行幸再現では、全国から多くの皆様にご参加いただくこととなっております。京都の文化都市としての役割が改めて発揮される機会となることを、心より祈念申し上げます。
以上をもちまして、私からのお祝いのご挨拶とさせていただきます。誠におめでとうございます。