2026年9月5日(土)ANAクラウンプラザホテル京都にてを開催いたしました「寛永行幸四百年祭 記念式典」にて、寛永行幸四百年祭実行委員会より事業についての主旨説明をさせていただきました。
濱崎加奈子:
寛永行幸から400年。
先ほどご紹介がございましたが、まさに明日9月6日が400年の節目でございます。この堀川通りの前、二条城の前での400年前を、皆様と思いをはせながらご一緒にさせていただきますことを、本当にありがたく思っております。 ここまでご尽力をいただきました、京都市商工会議所様はじめ関係の皆様、に本当にお世話になりありがとうございます。
これからまだまだ続きますが、これまでどのようなことをしてきたのかは、先ほどのオープニング映像で、少し早回りではございましたがご覧いただきました。
ここからは、この後どのようなことが展開するのかも含めまして、実行委員長の梅原さんと一緒にお話をさせていただきます。

官と民、そして財界の皆様、市民の皆様と一緒にという形でさせていただきます。
「なぜ今、寛永なのか」ということにつきまして、先ほどの知事や市長など、皆様方からも十分にお話を賜りまして本当にありがとうございます。

キーワードは、「武から文へ」ではないでしょうか。
相争っていた大名たちが全国から集まって、ここ京都で9000人の行列をされました。行列だけではなく、全国各地から集ってきた人は30万人、半年ほど一緒に、京都の人たちと一緒になって、この行幸の準備を進めました。きっと、400年前の前日、どんな状況だったかなと考えますと、人事が整っていたから、あるいは国民の皆さんもきっとどんな風になるのかなとドキドキしながら、迎えていたのではないでしょうか。

戦乱の時代を乗り越えまして、文化によって社会を結び直した時代であります。
寛永行幸を行って、それが起点となって、その力が発揮されて、400年。そのパワーをもう一度、現在に取り戻し、開いていきたい。 そういう思いでおります。

ジャンルやビルドを大いに味わった全国各地の人たちが交わった、そういった京都でありました。

そうして、文化が循環し、経済が循環いたしました。

その真ん中には、美意識、文化というものが根底になって、経済や政治や社会がぐっと回っていた、そういう国の形が作られたのだと思います。

そして、400年は、私たちの身近なところにあります。
戦乱を乗り越えて、そして、たくさんのお寺や、神社や文化的なものが復興された私たちの今、見ている京都の景色が、このときに作られたと言ってもいいと思います。
先ほど勝目先生が「寛永年間は日本版ルネッサンス」とおっしゃいました。400年前の人たちがつないだものは更に、1000年前、2000年前かもしれません。それをもう一度取り戻していこうとしてくれたからこそ、今につながっていると考えております。
それでは、私たちは今、どんなことをすれば400年後につないでいくことができるでしょうか? そういったことを、皆様と一緒に考えていきたいと思います。
ここからは、私たちのそうした思いをどのように展開していこうとしているのか、その方法について、また広がりについて、実行委員長からご説明申し上げます。

梅原和久:
ありがとうございます。
私どもはこの事業を進めるにあたって、まず専門家の皆様と一緒に「寛永とは何か」、それを伝える活動を始めました。

私たちのこだわりとしまして、寛永行幸400年先を単なるイベントにしない。そのために資料の検証や、時代考証、各国分野の専門家の先生方と一緒になって、事業を検討しているところでございます。

また、2年前から継続的に寛永文化講座というものを開催してまいりました。
ここに掲げているのは、本当にその一部でございますが、能楽や雅楽、建築など、さまざまな視点から寛永という時代を読み解いてまいりました。
寛永文化を専門家の方々と共に学んでその価値を現代に伝えていくということが、この事業の大切な土台となっています。

我々は、この寛永行幸が歴史上どんな意味を持ったのか、そして、寛永文化が現代の豊かさにどのようにつながっているのか、ということを積極的に発信してまいりました。

こちらは、私どもが監した書籍でございます。


また、寛永行幸・寛永文化について、新聞やテレビ、様々な雑誌に特集記事を書いていただいております。

海外メディアにも、このような形で発信をしていただいています。

公式サイトにおきましては、インタビュー映像掲載としまして「寛永行幸400年祭を作る・支える」という形で、文化の担い手の方々にもスポットを当てております。

SNSの方では、「400年前の今日、何があった?」をシリーズ化しておりまして、身近に400年前を感じてていただくような取り組みも続けております。

首都圏での発信といたしましては、400年前に全国の大名たちが京都へ集まったという歴史を現在に重ねるということで、東海道の起点である日本橋から発信をいたしました。


舞台上に展示されておりますのは、その時に着用された衣装でもございます。「一日晴れ」というものでございます。これは、12月の寛永行幸行列の再現でも使用されている予定になっております。

実際の記録史料などから、左側の装束などは本当に史料に基づいて「再現」というところにこだわりを持ち、忠実に行っているところでございます。

次のキーワードとしましては、「つながる」になります。

寛永文化は、1つの展覧会、1つの施設で語るようなものではない、という深みがございます。
そこで「寛永」をテーマに、京都府域の13の美術館、博物館が連携いたしまして、京都全体を1つのミュージアムに見立てるという取り組みを実施しております。


この秋にはさらに、さまざまな寛永関係のイベントを目白押しで準備をしているところでございます。

そして、もう1つの「つながる」としましては、京都の街でございます。

京都の街には実は、寛永文化の痕跡が多数残っています。そこで、「ゆかりの地マップ」を作りまして、現在スタンプラリーも実施しております。

また、普段は公開されていない寛永ゆかりの寺院もたくさんございます。
こちらの方も、この秋特別公開をしていただくことになっておりますし、京阪電車様とも連携し、京都の街を歩きながら周辺に続く寛永文化を見つけていただく、という取り組みになっております。
端の丸いものは、ヘッドマークです。今月から、京阪電車でヘッドマークを付けた電車を運行いただくことになっております。

この取り組みは、京都だけにとどまるものではございません。

文化庁の伊藤長官にもおっしゃっていただきましたように、 400年前には全国の大名が京都に集まりました。
そして、それぞれの地域の文化を持ち帰りました。

私たちは、全国に寛永ゆかりの地と連携する取り組みとしまして、今年これだけの地域とつながりを持とうとしております。

すでに行ったことといたしまして、富山県高岡市と、高岡御車山祭とのつながりをテーマにしたシンポジウムを行いました。


また、東京では「寛永行幸と能楽」ということで講演をしましたり、1週間前の仙台の仙台講演も非常に盛り上がりました。

今後の地域連携の取り組みとしまして、石川県との連携行事を10月に開催予定です。また、兵庫県の明石市での講演会、熊本市では寛永前期における細川家の講演も予定をしております。
京都で花開いた今回が全国に広がったように、400年後の現代においても京都と各地を結んで、新たな文化交流を生み出していきたいと考えております。

学生プロジェクト「家光のゆる絵東海道を行く」というプロジェクトは、ちょっと毛色の変わった取り組みです。
徳川家光は実は、狩野派の狩野探幽など当代一流の画家に絵を学んだのですが、非常に個性的な絵を描く人物だったようで、これが一部「ゆる絵」として有名になっております。
その絵を京都芸術大学の学生さんにぬいぐるみにしてもらい、このぬいぐるみが東海道を旅するというような取り組みを行いました。


実際に家光が京都まで上洛したときのルートをたどる、というような取り組みをいたしました。
このように、研究によって知って、発信によって伝える。また、人と地域をつないで、未来の世代にもつないでいくという取り組みをこれまでやってまいりました。
この成果を踏まえまして、400年前の文化を現代にどのようによみがえらせていこうとしているかということについて、これからお伝えいたします。
濱崎加奈子:
ありがとうございます。 ちなみに、学生さんたちに作っていただきましたぬいぐるみは、ホワイエの方にございますので、手に取ってもらってもいいんですかね。ぜひ、東海をずっと歩いてきたぬいぐるみさんと出会っていただけたらと思います。

9月6日、明日になりますけれども、ちょうど400年の節目の当日。数年前から温めてまいりましたけれども、一番御所に近い能楽堂である、金剛能楽堂様にて記念能を行います。

金剛若宗家、そして林喜右衛門先生、林先生はなんと、寛永行幸の時に集められたたくさんの能楽師たちのお1人がご先祖様だそうです。そして行幸の時に、先ほどご紹介をいたしました仙台より伊達政宗公が来られてまして、そのゆかりの御紋を今も家紋として使われているという、そういう人の文化との時間が交錯するような、そういうお方でございます。
今回、何より流派を超えて一緒になって舞台をする。しかも、新しい能の作品を作ってご披露いただきく。この新作能も当然ながら、右側にあのありますようなさまざまな文献資料を用い、研究調査をしながら、そして、現代においてどういうふうな形にすれば皆様とご一緒に伝えていくことができるのか、というのを考えながら歩んでおります。

寛永行列を再現する、とはいえ400年前に実際に行われた9000人規模での行列はなかなかできないな、ということで今回は330人ほどで実現させようとしているところでございます。
その過程でいろいろんなジャンルの先生方にご教示をいただく中、 詳細な記録が残る、徳川家光の装束や牛車を再現する、というプロジェクトを進めております。

他の装束もいい加減に・・・というわけではないですけれども、何分史料がすべて整っているわけではありません。そのような中で、詳細な、このような図が残っています。
また、家光の装束ではないですが、各地に「もしかしたら、あのその時にまとってたかもしれない」という装束があるというような情報も寄せられたりしております。
そのような中で、やはりこれは「令和の本気」を出して再現をしないといけないんじゃないかと、史料の研究を重ねながら、詳細な記録がありましてもそれをそのまま、というわけにはなかなかいかないということも先生方に教えていただきながら、日夜、議論を重ねながら進めている、というようなことでございます。

そして、家康の牛車もなんとか復元できないかというようなことで、今取りかかり始めているところでございます。


実際に乗ることができる形になるそうでございますので、我こそは!という方もいらっしゃいましたら、ぜひお呼びいただけたらな、というふうにも思っている次第でございます。

私たちの文化は、私たちの身体を通して伝承されてきました。
400年前の武将たちも全国各地から来られました。そして、戦がありましたものですから、いろいろな決まりものがわからなくなっている。
そのような中で400年前も、小笠原流の旧馬術礼法を学んだのであろう。

それなら私たちも同じ旧馬術礼法を、400年前の大名様たちと一緒のようなことをしよう!ということで、1800名もの応募をいただいた中から抽選で200名ほどになりました、全国各地から集まっていただける行列の参加者たちに礼法の研修をさせていただき当日に臨む、というようなこともしております。

そして、動く、歩くだけではなく、400年前はどんな音を聞いていたんだろうかということになりますが、明治の時代に多くの雅楽の曲が廃曲になっています。

そのうちの1つを復曲しようということで、大阪や京都、いろいろな地域の方々の雅楽の人たちに結集していただいております。この右上は、昨日の写真でございますけれども、そういったことを復元をさせていただきます。

そして、400年前の文化というふうに総称しましたけれども、さまざまな技術や思いやいろいろなものがつながって、400年前の行列が行われたと思います。 本当に、京都中の、全国の人たちが力を結集したと思われます行列の再現、まだまだ取り組んでいる途上でございます。

当時の行列につきましては9000人と申しましたが、馬が540頭だったそうです。 牛車12台、そのような記録が残っております。御所から二条城中立売門を出て、堀川を下がりました。

そして現在。このようなルートになることが決まりました。できるだけ、史実に基づこうと思うのですが、現在の中立売通りが少し狭くなっておりますので、下長者町通を通りまして東堀川通りを下がり、そして二条城へというようなことを考えております。
まだまだ参加できるかもしれません。また、ご覧いただけるかもしれません。
ぜひ皆さん、お楽しみいただけたらと思います。


この行列も、絵画の資料がたくさんございます。また、文献資料がたくさんございます。
これを突き合わせながら、本当にこの絵に描かれていることは、事実だったんだろうか。そんなことも検証しながら、ただ、全く同じことはやはり技術面でも費用面でも、いろいろなことが出てきません。
じゃあ、どこまでのことをしたら、行幸行列らしさを演出できるのか、といったことを、専門家の方々、実務の方々と一緒になって、今、まだまだ、まだ作り上げているところです。
皆様、お知恵をぜひお借りできたらなと思っております。

行列に参加される方が、全国から集まっていただきます。そして、歩くだけではなく、見る人も見る人も一緒になって、400年前を体感してみましょうということです。
装束を着てみていただく方も募集いたしまして、第一次募集はもう締め切っておりますがたくさんの方にご応募いただき抽選になってしまいまして「だめだった」という声がございます。
できれば、皆様のご協力がまだまだございましたら、この観覧席増やすことができるんじゃないかな? というようなことも思っておりますので、ぜひお声がけいただけたらと思います。
日本の文化は単に見るだけではなくて、やはり自分たちがやる、自分たちが着る、自分たちが楽しむということで、私たちの文化はつながってまいりました。ですのでぜひ、絵巻物の一部に、また、行幸行列の一部に!
見る人がいないと、歩く人も成立しません。

これは、400年前も同じことでございます。 このようなことも、こだわりを持って取り組んでいるところです。
そして、単に一度きりの、イベントで終わらせたくない。
寛永の行幸行列は、歴史上は一度しか行われませんでした。
でも、その後の広がり、寛永文化、そして経済ということを、皆さんと一緒に考えていけるような取り組みを、ぜひ続けていきたいというふうに私たちは考えております。

400年後に一緒に伝えていきましょう。
ご協賛、ご寄付、その他、連携する事業企画、まだまだ募集しております。

基金、そしてふるさと納税、そして連携関連事業、先ほど実行委員長からもご紹介いただきましたさまざまな連携企画。
これもお声がけいただいたり、こちら側からお声がけしたりという形で作り上げてきましたけれども、まだ間に合います。ぜひ、私たちの自分たちの会社でも、自分たちの美術館でも、「あっ、400年前あるよ」、あるいはそこから、「ルネッサンスを一緒にやりましょう」 そういってくださる方を募集しております。
京都のいいものがたくさん埋もれていたり、知られてなかったりすると思います。これを世界中に広めていきたい、伝えていきたい、そのきっかけになればいいなと思っております。

その1つの取り組みが、今日からスタートします。
これら舞台上に展示しております装束は、復元が始まったばかりですが、この復元した装束を収める箱に私たちの名前を刻んで後世に残しませんか? ということです。
9000人の行列は現在できないけれども、9000人の方々のお名前を刻みたい。
会場のホワイトの方に芳名帳を置いておりますので、ご寄付・ご協賛といった形で、お名前をぜひ残していただけたらと思います。

そして、今日、初公開でございます。こういったTシャツやピンバッジ、皆さん一緒につけて、寛永行幸を盛り上げていただけたらと思います。
このロゴマークの由来につきましては、お手元のパンフにたくさんの書いています。そして封筒も、なんかちょっと傾いてるなと思うかもしれませんが、この3度の傾き、御所と二条城は地図の上から眺めていただいたら、「あれ? 3度傾いている」ということに。
なぜなのかは、ぜひウェブサイトなどでご覧ください。

2つの異なる文化圏、3度ずれているかもしれません。
考え方、違うかもしれません。
でも、一緒になってやっていきませんか?
このロゴマークを通して、寛容な世の中、継続する社会。こういった寛永という言葉に込められた考えを広げていきたいと思います。

この後水尾天皇様の和歌、すぐなる世、まっすぐな世の中が続いていきますように、という願いが込められています。
400年前に、ここ京都で実現した文化が社会を整え、経済を動かし、そして人の心を描きました。そうしたシステムを、もう一度、未来社会の基盤として、京都から一緒に広げてまいりましょう。

400年後へ向けまして、ご一緒に歩んでまいりたいと思います。
今日から、泉屋博古館さんで、屏風を間近に本物を見ることができます。
市内各地で13カ所、そして、滋賀MIHO MUSEUMさんやら、またいろいろなあのお寺さんや、神社さんやら、さまざまなところで、400年前の本物に触れることができます。
ぜひ今日から、400年前をたくさん探していただきまして、私たちが、そして、その過去の1つの400年前の点ではなくて、ずっと400年間につないでいった人たちがいた、その中には、私たちのご先祖様もいたでしょう。
こういったことに、思いをはせながら、次の400年後の起点に、皆様と一緒になれたらいいなというふうに考えております。
寛永行幸400年祭、皆様とご一緒に盛り上げていくことができたらと思います。
実行委員長、最後に一言。お願いします。
梅原和久:
京都だけの取り組みではないんですが、まず京都で、ですね、ぜひ、一緒に盛り上げてまいりたいと思っております。
これからも引き続き、ご協力をよろしくお願いいたします。
